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2007年06月09日

てにす【テニス】

てにす

ひわい語辞典:テニステニスはネット越しにボールをラケットで打ち合う球技。ロイヤルテニスやコートテニスと区別して、現代のテニスは正式にはローンテニス (lawn tennis) と呼ぶ。庭球とも表記する。


<テニスの歴史>
昔のジュ・ド・ポーム複数の人間が1つの球を互いに打ち合うという形態の球技の起源は、紀元前にまで遡ることが出来る(およそ地球上のどこの人間であれ思いつく種類の行為ではある)。エジプトでは宗教的な行為のひとつとしてこのような球技が行われていた。紀元前15世紀の壁画で球を打ち合う球技を行う人々の姿が描かれたものが発見されている。

エジプトに存在したこの球技は、古代ローマ帝国にもレクリエーションの1種類として引き継がれたが、現在のテニスの直接の祖先に当たる球技は、8世紀ごろにフランスで発生し、当初はラ・ソーユ (La Soule)、後にフランス貴族の遊戯として定着をはじめた16世紀以降にはジュ・ド・ポーム (Jeu de paume) と呼ばれた。

フランスでこの球技が盛んになった理由としては、ローマ時代の直接の影響よりも、8世紀から11世紀まで、イベリア半島から南フランスまで進出していたイスラム教徒(ウマイヤ朝)が、エジプト時代と同様に、宗教的行為として行っていたものに、キリスト教の僧侶が興味を持ち模倣したことからはじまったと言われている。(「ラケット」の語源がアラビア語であることに注意されたい。フランスの僧院で特に盛んに行われるようになったのは、イスラム勢力がヨーロッパから駆逐された12世紀ごろ以降からとされる。

現代のローンテニスに対して、初期のテニスは普通単に「テニス」と呼ぶが、このことはあまり知られていない。「テニス」の名称は「テネ」(受け取れ、という意味の語。サーバーの掛け声)に由来する。基本的なルールやスコアリング方式はローンテニスとよく似ており、ファイブズ (fives)、ペロタ (Pelota) などのハンドボールから発達した。

昔のテニスのコートは僧院にあり、四方を壁と傾斜した天井に囲まれていて、現代のローンテニスのコートより大きかった。18世紀から19世紀にかけてヨーロッパの貴族の間で大流行し、多くのコートが建造されたが、現存するものは少ない。イギリスでは復元されたコートがクリフトン大学にある。近代における貴族階級の遊戯としてのテニスは、イギリスではロイヤル・テニス (Royal Tennis)、アメリカではコート・テニス (Court Tennis) とも呼んでいる。

中世では、現代のようなラケットは使わず、手のひらでボールを打ち合っていた。手袋を使うこともある。「ポーム」とは手を意味する。ボールは皮製で現代のものよりはるかに重く、弾力性は少ない。サーブは一方の側からのみ行われ、傾斜した屋根を転がるように打ち上げる。レシーブ側のプレイヤーは、落ちてきたボールが二度バウンドする前に打ち返す。失敗したプレイヤーはポイントを失う。ゲームの最初の第一球の打ち込みが「サーブ」と呼ばれるのは、中世においては、レシーバーにあたる人間の従者が第一球を屋根に打ち上げる役目を行っていたことに起源がある(従者「サーバント」が主人に対して行う行為は「サービス」)。16世紀には現在のラケットの原型が登場した。これはまだガットは張られておらず、ガットが張られるようになったのは16世紀になってからである。また、この初期のラケットは選手が自作していたそうである。

現代の多くのスポーツとは異なり、ローンテニスの歴史はごく浅い。1873年12月、ウォルター・クロンプトン・ウィングフィールド少佐は、イギリス・ウェールズのen:Nantclywdにある自分の所有地でガーデンパーティーを開いた。ウイングフィールド少佐はそこに招かれた客を楽しませる余興としてローンテニスを考案した。ローンテニスは、12世紀のフランスで考案されフランス革命まで貴族たちがプレイしていたテニスを基にしている。ウイングフィールド少佐の考案したテニスのコートは、中心部分が細くなっている蝶ネクタイ型をしていた。1874年、ウイングフィールド少佐はテニスに商用としての可能性を見て特許を取得したが、商業的には成功しなかった。しかし、イギリスやアメリカで有閑階級を中心に急速に広まった。アメリカではニューヨークのスタッテン島、メアリー・ユーイング・アウターブリッジの家で最初にプレイされた。

1881年には競技としてテニスをする望みがテニス・クラブの設立に結びついた。1877年ロンドンで、アマチュアの大会として第1回目のウィンブルドン選手権が開催された。1881年には、アメリカ国立ローンテニス協会(今のアメリカ・テニス協会)が、ルールを標準化し、かつ競技を組織化した。1881年に「全米シングルス選手権」(最初の名称:U.S. National Singles Championship)の第1回大会がアメリカ・ロードアイランド州ニューポートで開催され、6年後の1887年に「全米女子シングルス選手権」(U.S. Women's National Singles Championship)が始まった。これらが現在の全米オープンの原型となった大会群である。男子テニス国別対抗戦のデビスカップは、ナショナルチームの間で1900年から始まった。


<日本のテニス界>
日本では1878年にアメリカのリーランドが文部省の体操伝習所で紹介したものが最初とされる。用具の調達が困難であったことからゴムボールを使う日本の独自の軟式テニスを考案し、独自の発展を遂げた。その軟式テニスで育った選手(熊谷一弥、清水善造、佐藤次郎等)が硬式テニスに転向し、欧州、米国に転戦し始める。彼らはその独特のテニスで大活躍し、世界を驚かせた。清水は1920年のウィンブルドン選手権「チャレンジ・ラウンド」で決勝に進出し、当時の世界ナンバー1だった米国のビル・チルデンに肉薄した。熊谷が主に米国で活躍し、クレーコートで無類の強さを発揮した。佐藤は当時の世界ランキングで3位まで昇りつめたが、1934年4月に遠征中にマラッカ海峡で投身自殺をする。1970年代には日本でもプロ選手が登場、そのプロ第1号(戦後初のトーナメントプロ)である神和住純(父が軟式テニスの全日本チャンピオン、本人も軟式出身)が世界を転戦する。神和住は主に「WCTサーキット」で活躍し、当時のトップ選手だったスタン・スミスを2度破るなどの活躍を見せた。近年は松岡修造の健闘があった。平均的な成績(アベレージ)はいくらか低かったものの、ピーク時は限りなく高く、時にトップランカーと互角に渡り合い、そして倒した。1995年ウィンブルドン選手権男子シングルスでのベスト8は大健闘といっていいだろう。それ以後、日本の男子選手で世界トップレベルに近づいた選手は少ない。

女子では1975年のウィンブルドン選手権女子ダブルスで、沢松和子とアン清村のペアが初優勝したことが日本テニス界の起爆剤となり、世界挑戦を目指すプロ選手が増えてきた。1980年代に活躍した井上悦子はその先駆者的な存在となる。やがて、1989年にプロ転向した伊達公子が、1990年代に目覚ましい大活躍を遂げ、日本人の女子テニス選手として初の世界ランキングトップ10選手に成長した。同時期には沢松奈生子、雉子牟田直子、長塚京子、神尾米、遠藤愛、佐伯美穂、吉田友佳、杉山愛等が次々と世界ランキングトップ100入りし、日本女子テニスは全盛を築く。平木理化の1997年全仏オープン混合ダブルス部門での優勝もあった。しかし伊達が1996年に引退した後、他の選手の勢いも衰えた。2004年2月に杉山愛が世界ランキング8位を記録し、日本人女子として2人目のトップ10入りを果たしはしたが、杉山と浅越しのぶ(伊達の後輩にあたる)の活躍に頼りきりの状態が長らく続いてきた。その浅越しのぶは2006年を最後に引退を表明。森上亜希子、中村藍子、森田あゆみなどの今後の活躍が望まれている。


<ルール>
1対1のシングルスと2対2のダブルスがある。

試合開始前のトスによって決定された一方のプレイヤーがサーバー、他方がレシーバーとなり、ゲームごとに交替する。また、プレーするコートは、奇数ゲーム終了ごとに交替する。サーバーはベースラインの外から相手コートのサービスエリアでバウンドするようにボールを打つ。レシーバーはサーブされたボールを2回バウンドする前に相手コートに打ち返し、お互いにラリーを続ける。次のようなときに失点(相手方の得点)となる。

サーブを2回続けてミス(ダブルフォルト)したとき
サーブされたボールがバウンドする前にレシーバーが触れたとき
自分のコートでボールが1回バウンドし、もう1回バウンドしたとき
自分のコートでボールが1回バウンドし、逆回転によってネットを越えて相手のコートに戻ったとき(この場合は特殊で、ボールが相手コート上にあってもタッチネットさえしなければ、2バウンドする前にオーバーネットして打ち返し、相手が取れなければそのポイントは自分のものとなる)
自分のコートに落ちたボールがバウンドしなかったとき
自分の打ったボールの1回目のバウンドが、相手のコート外(アウト)だったとき
打ったボールが審判に命中したとき
ラケット以外の部位がボールに触れたとき
ラケットとボールが1回の返球で2回以上触れたとき
相手コート内でボールに触れたとき
体やラケットがプレー中にネットに触れたとき
ラケット以外の持ち物をコート上に2回落としたとき
得点は、0点=ラブ (love)、1点=フィフティーン (fifteen, 15)、2点=サーティ (thirty, 30)、3点=フォーティ (forty, 40) と数える。一方が4点を取ると1ゲーム、6ゲーム取ると1セット取得できる。5セットマッチなら、3セット先取すると勝ちである。ポイントが両者3点(40)ずつになるとデュース(フォーティオールとは言わない)となり、相手に2点差をつけるとそのゲームを得る。なお、この時に1点リードしている状態を「アドバンテージ」と言う。また、ゲームカウントが 5-5 になると、そのセットを得るためには2ゲーム差をつけて 7-5 としなければならない。

ただし、ゲームカウントが6-6となった場合は、次のゲームはタイブレークという特別ルールのゲームとなり、2ポイント以上の差をつけて7点以上先取したほうが取得し、このセットを得る。タイブレーク中のポイントは、普通にワン、ツー、スリー・・・・と数える。主要な国際大会の最終セットでは、タイブレークのルールを採用せず、2ゲーム差が付くまで通常ルールでゲームを続行する場合もある。

タイブレークのルールは1920年代に、試合時間短縮のために考案されたものである。4大大会でも、全米オープンだけは、最終セットでタイブレーク決着を採用している。

なお、現在は有力選手の参加が少なく注目度の低いダブルスの合理化を目的として、2005年秋以降の男子国際大会において、ダブルスのみ、各ゲームともデュースなし(ノーアドバンテージの1本勝負)、1セットを一律5ゲーム先取方式(4−4で通常方式のタイブレークを行う)とする等のルール変更が提案されており、ダブルスプレイヤーを中心として反対運動が起こるなど、大論争が巻き起こっている。

このシステムを試行した初の国際大会である2005年10月のAIGジャパンオープンテニスでは、日本の岩渕聡、鈴木貴男組が日本人ペアとして初のツアーダブルス優勝を果たしている。


<使用する用具>
テニスコートラケット:棒状のグリップの先が輪になっており、そこにストリングが張られている。長さ69センチ、重さは240〜380グラム程度。材質はグラスファイバー、カーボン、アルミ、スチール、木など。
ボール:白または黄色、表面はフェルトで覆われている。直径6.35〜6.67センチメートル、重さ56.7〜58.5グラム。
コート:サーフェスはグラス(芝)、クレー(土)、アンツーカー、ハード(コンクリート、ゴム)、グラスサンド(砂入り人工芝、オムニ)など。縦23.77メートル、横10.97メートルで、中央に高さ107センチメートルのネットが張られている。


<着用する服装>
着用する服装は、ルールで定められている。

この節は、書きかけです。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

<テニス用語>
テニスの用語は、ロイヤルテニスで使われるフランス語の用語から命名されている。

テニス (tennis)
フランス語の動詞tenirの命令法2人称複数形で、「受け取れ」 (hold) という意味の「トゥネ(zは発音せず)」 (tenez) に由来する。これはロイヤルテニスにおけるサーバー側のプレイヤーの掛け声であり、「サーブするぞ!」 (I am about to serve!) ということを意味する。ゴルフで「フォア!」 (Fore!) というのと似ている。
ラケット(Racquet)
フランス語の「raquette」からきているが、この語はアラビア語の手のひら(rāat)に由来する。
ガット(gut)
ラケットに張られている網。正式にはストリングスと言う。ガットの語源は「腸」。
デュース (Deuce)
「両プレイヤーは同点」 (to both is the game、the two players have equal scores) を意味するフランス語の表現、「a deux le jeu」に由来する。ただし、現在、デュースはEgaliteである。
ラブ (love)
卵を意味するフランス語、「l'oeuf」に由来する。ゼロの記号「0」が卵形をしていることから使われた。
「15」「30」「40」というスコアの数え方は、当初は、0、15、30、45であったものの、45の5が省略されるようになったものだいう説が有力である。なお、フランス語では「15」、「30」、「40」は「quinze」、「trente」、「quarante」であり、全仏オープン等で聞くことができる。
フランス語では、古代ガリア(ケルト)の影響で20進法が一部残っており、60〜100は20進法である(なお、同じラテン系言語であるイタリア語、スペイン語、南仏語等にはこの現象は見られない。)。そのため、70=60+10、80=4×20、90=4×20+10という表現をする。
ブレーク (break)
レシーブ側が、相手のサービスゲームを破る時に使われる。
サーブ
ボールを空中に離し(「トス」と呼ぶ)、そのボールをラケットで打つこと。サーブによりボールを相手コートのサービスエリアに入れる事で、ゲームのポイントが開始される。「サービス」とも言う。サーブを打つ人を「サーバー」と呼ぶ。多くの場合、トスは頭上に投げるが、それはサーブの威力を増すためである。トスは頭上でなくてもよい。野球のアンダースローのようにラケットを下から振り、ボールを打つ場合、アンダーサーブと呼ぶ。プロでも意表を突くときにアンダーサーブを打つ事がある。サーブしたボールを相手がリターンできない場合、「サービスエース」と呼ぶ。このとき相手がボールに触る事ができなかった場合、「ノータッチ・サービスエース」と呼ぶ。「ノータッチエース」と略す場合もある。サーブに威力のある選手の場合、サーブはてっとり早くポイントを稼ぐのに良い武器となる。そのため、サーブの強化はテニスプレーヤーがいつも考えている課題のひとつでもある。サーブの種類はボールの回転で分類されることが多く、「フラットサーブ」「スライスサーブ」「スピンサーブ」「トップスライスサーブ」と呼ばれる。
「フラットサーブ」はボールの回転が少なくスピードが速いサーブである。初心のうちはこれしか打てない。スピードが速いが確率が低いので、一発屋的なサーバーが好んで打つ。
「スライスサーブ」は右利きの場合、サーバーから見てボールは左に曲がりながら飛ぶ。軌道は低いが簡単に習得しやすいので、もっとも多用されるサーブでもある。プロの場合、大きく曲がるので「ノータッチエース」を取るためにも使われる。
「スピンサーブ」はバウンドした後、大きく弾む。さらに右利きのサーバーから見て右に弾ませる場合「キックサーブ」と呼ぶ。「スピンサーブ」はネットの上を高く超えるのでネットする確率は低く、また、大きく弾む事で「リターン」がしにくいので「セカンドサーブ」として打たれる事が多い。ただし習得には時間がかかり、スピンサーブが打てたら一人前みたいに思われ、初心者の仲間同士では尊敬される。ちなみに「キックサーブ」は漫画「テニスの王子様」の主人公、越前リョーマの必殺技の「ツイストサーブ」として紹介されたため、昔の呼び方とされる「(アメリカン)ツイストサーブ」と呼ばれることもある。本質的には同じものだが、近年のテニス雑誌においては「キックサーブよりも攻撃的なサーブがツイストサーブ」と差別化を図る動きもある為、依然、「キックサーブ」と「ツイストサーブ」の明確な定義の分け方は存在しない。
「トップスライスサーブ(またはスピンスライスサーブ)」はトップスピン回転とスライス回転を融合したサーブ。「トップスライスサーブ」の軌道はスピンサーブ同様ネットの上を高く超えるが、ボール着地後 の変化はスライスサーブのように右利きのサーバーからみて左に弾む。スピンサーブの持つ「ネットにかかりにくくサービス成功確率が上がる」点とスライスサーブの持つ「習得が容易」という利点をあわせもつ 一般的には「セカンドサーブ」として打たれることが多いが(特に女子やダブルスにおいて)、上級者またはプロレベルになるとトップスピンとスライススピンの割合を調整し、毎回異なる変化を作り出せることから、各種テニス雑誌において「サービスゲームキープ率アップの登竜門」的な見方がなされている。
ラケットの進化によりサーブの速度は毎年上がる傾向にある。その結果「ノータッチエース」が激増し、テニスが淡白になりつつある。このことはラリーによる戦略やあらゆるテクニックを楽しみにしているファンには物足りない傾向とも言える。
リターン
サーブを返球すること。返球したボールがサーバーに触れずにポイントを得た場合「リターンエース」と呼ぶ。かつてのジミー・コナーズは「リターンエース」を量産してリターンの天才と言われた。
レット(let)
プレーをやり直すこと。サーブの時、ボールがネットに当たってサービスエリア内に落ちたり、トスしたボールが着地するまでに打たなかったりした場合、もう一度そのサーブをやり直す権利がある。(トスの精度が悪いとサーバーが判断した場合、わざと打たずにトスをやり直すこともできる。)偶に「ネット」と誤ってコールする人がいる。また、プレー中にほかのコートからボールが入ってきた場合などにもコールされ、そのときはサーバーがファーストサービスからプレーをやり直す。
ボールボーイ(ボールパーソン)
テニスの試合中に、ラリーが終了したボールを拾う専門の係。多くの場合、そのための訓練を受けた子供たちが球拾いの仕事をする。

<四大大会>
全豪オープン (1月)
全仏オープン (5月 - 6月)
ウィンブルドン (6月 - 7月)
全米オープン (8月 - 9月)
四大大会を1年間ですべて優勝することをグランドスラムという。これを夏季オリンピックの開催年(オリンピアード)に達成し、同時に五輪の金メダルを獲得することを「ゴールデン・スラム」という(1988年に当時19歳のシュテフィ・グラフが達成した偉業から、この新語が作られた)。

2007年に至るまで、グラフの後に年間グランドスラムを達成した選手は、男女を通じて誰もいない。


<ソフトテニス>
ソフトテニス(軟式テニス)は日本へテニスが紹介された当時、テニス用具の国産が難しく輸入品が高価であったため、比較的安価に輸入(独)できたゴムを材料としたボールが使われたのが始まりである。アジアを中心にプレイされていたが現在は全世界に普及しつつあり、2003年の第12回世界選手権には全大陸からエントリーがあった。ダブルスを主体というイメージが強いが、1994年以降シングルスのルールも整備されている。


<その他>
1998年、日本テニス協会や日本プロテニス協会などは9月23日(秋分の日)を「テニスの日」に制定した。
バドミントンなどとともに、レクリエーションやレジャーとしても広く行われる競技である。公園や高原のリゾート地などには、しばしばテニスコートが見られる。


<テニスを扱った作品>
 漫画
エースをねらえ!(山本鈴美香)
風の生まれる処(佐々木潤子)
GUT's(風童じゅん)
GIANT STEP(寺嶋裕二)
しゃにむにGO(羅川真里茂)
スマッシュ!メグ(佐伯かよの)
スマッシュをきめろ!(志賀公江)
テニスの王子様(許斐剛)
テニスボーイ(寺島優・小谷憲一)
Happy!(浦沢直樹)
フィフティーンラブ(塀内夏子)
見上げてごらん(草場道輝)
"LOVe"(石渡治)
翔の伝説(高橋陽一)

 コンピュータゲーム
Tennis for Two(ウィリアム・ヒギンボーサム)
テレビテニス(エポック社)
テニス(任天堂)
スマッシュコート(ナムコ)
マリオテニスシリーズ(任天堂)
みんなのテニス(ソニー・コンピュータエンタテインメント)




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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でる【DELL】

でる

ひわい語辞典:でるDell(デル)は、アメリカ合衆国テキサス州ラウンドロックに本社を置く、世界第二位のパソコンメーカー。会長・CEOはマイケル・デル。日本法人は神奈川県川崎市幸区ソリッドスクエアに置くデル株式会社(1989年6月設立)。代表取締役社長はジム・メリット。

<概要>

デルのノートパソコン(Dell Inspiron)テキサス大学の学生であったマイケル・デルにより1984年に創業した。中間業者を排し、在庫を持たない注文生産(BTO)の直販スタイル(ダイレクト・モデル)が特徴。その価格の安さから、現在世界でトップの販売台数を誇る。パソコン以外にもサーバやストレージも扱う。なお、日本ではデル・リアルサイトと呼ばれる直営店やビックカメラ系列店を主とする一部の家電量販店でも受注販売を行っている。デスクトップパソコンのカラーは2001年より白から黒へ変化した。

頑なにインテル製CPUを採用することでも有名で、それのみならずAMDのCPUを酷評するなど、インテルの別ブランドではないかと例えられることもある。しかしAMD製のCPUを採用するのではないかという報道・噂は何度も浮上した。

これには、トップシェア故、インテル製品を独占的に使用する事で、納入価格の優遇を受けているという見方や、AMD採用を示唆することで、インテルに値引きの圧力を掛けているというような、 他メーカーに対する、インテルが指摘されている独占禁止法違反行為と正反対の関係があるとも言われる。

2006年5月、サーバー製品に限ってAMD製CPUを採用することが正式に発表された[1]が、2006年9月以降DimensionやInspiron、及び、OptiplexにもAMD製CPUを搭載した機種を発表。2007年5月、LatitudeにもAMD製CPU搭載機種が追加された[2]。Precisionワークステーション(Mも含む)ではAMD製CPUを搭載可能な機種を発表していない。

まれに企業向けに高スペックのデスクトップサーバーを2万円以下まで下げることがあり、個人事業主から大量に発注が来る。デルでは今現在も受注発注を行い、発注が来ると中国で組み立てて全世界へ発送される。その為、日本で購入する際に他メーカーと比べ高額の送料を負担することになる。


<サポート面>
日本国内では宮崎県宮崎市の「デル宮崎カスタマーセンター」と神奈川県川崎市の本社ビル内の2拠点、及び、中国法人の大連市のコールセンターの計3拠点でサポートを行っている。購入後には電話や電子メールでのサポートを行っており、他社と比べエンジニアと直接話し問題解決につながることを売りとしている。人件費のコストダウンを図り中国法人の大連市のコールセンターへ取り次ぐことも多く、担当者によっては意思の疎通がうまく図れないことがあると言われている。

日本市場に参入した初期において、DELLは主に中上級者に評判の高いメーカーであった。さらに、コンシューマー向けテレビCMの開始や、初心者層までをターゲットとした製品群の投入にともない、市場シェアは3位まで上昇した。しかし、個人向け製品の急激な出荷台数増加にともない、初心者の顧客が増えたことでサポートへの問い合わせ件数が増加し、問い合わせ1件あたりの対応時間も長時間化した[3]。また、コスト低減と人材確保を意図して、2002年末に中国にコールセンターを開設し、サポート業務の一部を移管したが、「日本語が通じない」、「専門知識が足りない」といった批判を受けるなど、サポート品質維持・拡充が追い付かなかったため、顧客満足度の低下をもたらす事となった[4]。この結果、以前はサポートランク1位であった日経サポートランクにおいて、2005年は富士通・NEC・アップルコンピュータにその座を奪われることとなった[5]。

このようなサポート体制に再起をかけるため、2005年11月に宮崎県宮崎市に「デル宮崎カスタマーセンター」を新設しサポートを強化した[6]。しかしながら、大連のサポートセンターについて「日本語が通じにくい」という声はまだ多く、日経パソコンの調査では2006年も主要10メーカー中最下位の評価を受けている[7]。


<ハードウェア>
当初、DELL製のマザーボードは電源供給コネクターなどのピン配置が独自のものが採用されたため、電源の故障などが起きた場合は、サポートを利用して交換する必要があった(変換アダプターもサードベンダーから発売されていた)。


<トラブル>
リコール等
1994年前後に多発した、台湾コンデンサー・メーカーの品質管理ノウハウ不足に起因するトラブルをDELLでも同様に抱えた、2005年も同様にOptiplex GX270やOptiplex GX280でコンデンサーの品質問題が起きた[8]。ただし、台湾メーカーではなく、日本のメーカーである。これらは2003年4月からおよそ11ヵ月に渡って製造されたもので、その交換費用のために3億700万ドルが計上された。該当コンデンサーは高温環境で電解液の蒸発が多く(ドライアップ現象)、部品寿命が設計保証値よりも若干短くなってしまうというものである。PCの具体的なトラブルは起動不能、動作不安定などである。

また、ノートPCに関してはアップルやHP,IBM同様、幾度となくリコールが実施されている。例えば、2000年10月13日(米国現地時間)には、使用中でなくとも回路のショートを引き起こす可能性があり、発熱、発煙、発火等の危険があるため、2万7000台をリコールすると発表された[9]。次に、2004年10月8日(米国現地時間)には同様にノートPC用のACアダプター等で過熱し、発火するということでリコールを発表した[10]。これは、1998年9月から2002年2月にかけて製造された物で、合わせておおよそ440万台に相当する。更に、2005年12月16日(米国現地時間)には、2004年10月5日から2005年10月13日にかけて製造された、ノートPC用のACアダプター等の発熱・発火問題によるリコールの発表を行った[11]。

製造ミスなど
キーボードの「タ」が「夕」となっている。 キーボードの最下列の 「カタカナ ひらがな ローマ字」の切り替えキーの「タ」が、印刷ミスで「夕」となっている。




オンライン注文時のトラブル
適用条件外とすべきクーポンで見積書が作成できてしまうなど、オンライン注文にまつわるトラブルは後を経たない。

2007年5月19日、DELLでストレージ製品3万円引きのクーポンがデスクトップPC・ノートPC・液晶モニター・サーバーに適用出来るようになるというトラブルが発生。クーポン適用させると一部の製品が「0円」で購入出来ると注文が殺到したものの、結局は「ストレージサーバー」のみの特別クーポンとし、クーポン非適用と見なして全ての3万円引きのクーポンでの注文がキャンセルされるというトラブルが発生した[12][13]。こういったトラブルはDELLでは1年に1度の割合で発生している。

アメリカでは、2007年5月16日にDELLおよびDELLファイナンスサービスにおいて、顧客が契約したテクニカルサービスの問い合わせ電話に対し長時間待たせたり、修理サービスに対しちゃんと対応していなかったり、顧客に対しハードウェアカバーの交換を強要したり、またDELLファイナンスサービスにおいては、無利息や支払い無用という言葉で顧客を呼び実際にはこういったファイナンスサービスを顧客に提供せずに、金利20パーセントの別のファイナンスサービスを提供しているとして、ニューヨーク州アンドリュー・クオモ検事総長が両社をアルバニー郡裁判所に提訴したと発表した[14] 。


<不法行為>
日本法人「デル株式会社」では、店頭販売員を採用する際、自社で面接を行った上で人材派遣会社に採用させて、派遣社員として就労させていたことが発覚し、職業安定法が禁じた「職業紹介」にあたるとして、神奈川県警が法人としてのデルと当時の採用担当元社員を同法違反容疑で書類送検、略式起訴し、同社に対し罰金30万円、元社員に対し罰金10万円の略式命令が2005年8月25日に出た[15]。


<沿革>
1984年 1000ドルの資金を元に創業
1986年 業界最高速のパソコンをコムデックスに出展
1987年 初の海外進出で英国へ
1993年 日本での販売を開始
1996年 日本法人本社を川崎市幸区ソリッドスクエアに移転
1994年 ノートパソコン市場に参入
1996年 サーバ市場に参入。インターネット販売を開始
2003年 社名を「Dell Computer Corporation」から「Dell Inc.」へ変更。日本法人の「デルコンピュータ株式会社」も「デル株式会社」へ変更。
2005年 64ビットサーバー(IA64Itaniumを用いた)市場から撤退を表明

<脚注>
[1]デル、ついに決断--AMDの「Opteron」プロセッサ採用を発表 - CNET Japan
[2]ITmedia +D PC USER:デル、“Santa Rosa”Latitudeと“AMD”Latitudeを発表
[3]「デル神話」は続いているのか。PC市場の革命児の今を追う : ハードウェア - Computerworld.jp
[4]Japan.internet.com Webマーケティング - サービスイメージの伝達−デルのブランド戦略
[5]@IT:デル、サポート体制に問題なしとの姿勢
[6]大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」:デル、宮崎カスタマーセンターを公開
[7]サポートランキング2006:日経パソコンオンライン
[8]デルのOptiPlex問題、リコールではなく当該製品のみを交換へ - CNET Japan
[9]DellがノートPCのバッテリをリコール、発火などの恐れ - ニュース - nikkei BPnet
[10]米Dell,ノート・パソコンの一部モデルに付属するACアダプタのリコール:ITpro
[11]デル、ノートPC用バッテリ3万5000個をリコール - CNET Japan
[12]livedoor ニュース - DELLのモニターが本当に0円! 驚愕のお祭り騒ぎ!
[13]livedoor ニュース - 【トレビアン】強制キャンセル! DELL祭りでゴネる人デルデル!
[14]ITmediaニュース:ニューヨーク州検事総長、Dellを提訴
[15]ITmediaニュース:デル、職安法違反を指摘され是正



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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